あなたのそばに、
暮らしのそばに

株式会社川商ハウス

代表取締役社長
水谷 学 様

1982年に地元大学に入学するも、アルバイトに勤しみ大学中退後、1987年に入社。面白いことに面接は居酒屋で、即採用だったそうです。入社後は賃貸営業マンの傍ら、当時まだ一般的ではなかったパーソナルコンピューターを駆使し、社内のシステム開発も兼務で、業務ツールのプログラミングに忙しい日々を送られました。2013年に専務取締役、昨年4月に代表取締役社長に就任され現在に至ります。高校時代からオーディオがお好きで、いつかジャズ喫茶を開きたい夢をお持ちです。

事業紹介

 「アパート・マンション 川商で探せ!」のフレーズを聞かれた方もおられると思いますが、総合不動産業として1975年に創業しました。現在、県内に4支店と3グループ会社を有し、お客さまの「借りたい・貸したい」「買いたい・売りたい」をトータルにお手伝いさせていただいております。これまで賃貸仲介業務は、時代の流れとともに変化する家族の暮らしや価値観に合った「住まい」を提供し、一方で創業以来、賃貸管理業務に重点を置いた活動を行ってきました。

過去にあった危機とその克服

  創業当時はまだ1973年のオイルショックの影響が尾を引いており、決して順調なスタートではありませんでした。ゼロからのスタートで紫原に事務所を構え、その頃は家賃1万円程度のアパートや間貸しなどが多く、自分たちでチラシを配布したり苦労が絶えなかったようです。仲介料の売上はあまり大きくありませんから、周りの不動産売買を主に行っている同業者から、揶揄されたこともありました。それでもコツコツと実績を重ねながら、飲食店や託児所を開いて経営をつないできました。

 そんな中、1987年頃からワンルームマンションが現れ始め、ユニットバスを備えた間取りは画期的で家賃の価格帯も上がってきました。これまで地道に仲介業を行っていたことが奏功し、ワンルームマンション一棟丸ごと、入居の斡旋から退去まで任せてもらえる賃貸管理業務のボリュームが徐々に増え管理報酬も計上できるようになりました。その後、バブル景気が地方にも波及し、中央の投資家が地方の物件を購入して賃貸管理は地元の業者に委託するという構図が加速していきます。幸い私たちは物件を所有せず、「仲介に徹して賃貸管理報酬をいただく」というスタンスは不変でしたので、バブル崩壊の影響もほぼ無かったと言っても良いかもしれません。

社屋

社長が大切にされていること

 経営方針として賃貸管理業務を柱に据えたのは、ひとつの出会いがきっかけでした。創業して苦労が尽きない頃、先代の社長が東京の同業者の方から「これからは賃貸管理の時代が来るよ」と聞き、以来その思いをずっと大切にしてきました。おかげさまで地元の不動産会社として順調に業績を伸ばしています。話は変わりますが、実は私の入社はアルバイをしていた時に偶然出会った大学の先輩に声をかけてもらったのがきっかけです。出会いと縁は偶然とはいえ、どう転ぶか分かりません。ですから、お客さまに選んでもらったご縁を大切にしたいと思っています。私たちの賃貸管理業務はカスターサービスとして、入居者さまの苦情を「クレーム」とは言わず「お困りごと」と捉え、24時間365日電話などでの受付対応を実施しており、入居者さまの満足度を高める独自の努力をしています。入居者さまのご縁がまた新たなご縁につながると考えているからです。

社長にとって経営とは

 やはり人と人のつながりが何より重要だと感じています。それは社内外問わず変わりません。幸い現在働いている社員は、全員私が面接し採用に関わっているので、今では財産だと思っています。社員とのコミュケーションを大切にしながら、社員の働きやすい環境づくりを推進しています。また、来年4月には創立50周年を迎えますが、次なる目標に「100年企業を目指す」を掲げ、会社のビジョンを分かりやすく言語化し社員全員の共有を図っています。

VISION

「よかルート」にひと言

  少子高齢化が加速する今の時代、医療・介護業界の人手不足解消が喫緊の課題と考えます。鹿児島も例外ではなく、「よかルート」の看護師・介護福祉士・医療事務・保育士のマッチングサービスこそが問題解決に大いに貢献なさると信じております。

インタビュアーの声

 ひとつひとつの言葉に代表の優しい人柄がにじみ出ていました。賃貸物件の検索ツールは時代と共に変化してきており、最近はスマホのアプリで事足りることもあります。しかし、住むのは人です。最近では内見や契約もリモート化が進んできていますが、できるだけお客さまとの接点を大事にするようにと社員には伝えており、一期一会を大切にされている姿が伝わってきました。